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もちつきにっき

名刺に書いてる以外のこと。

赤くない金魚

いつも度が過ぎるほど愛想がいい近所のコンビニの店長、河井さん(仮名)の胸には、くたびれた制服に不釣り合いなほどポップなキャラクターのバッジがぶら下がっていた。話題の漫画が映画化して店とコラボ商品を出しているらしい。主人公の少女が生まれ変わった世界と現世を行き来するという物語のテーマに合わせて「もしも生まれ変わるなら?」と書かれたバッジの白い空欄を埋めるちまちまとした少々悪筆な字。「スーパーカブで日本一周!」かぁ…とぼんやりと眺めていると、「あっすみません」と河井さんが言う。バーコードリーダーが釣り皿に少し当たったらしい。頭を下げたときさびしい頭皮が見えた。スペースを空けるように皿を手前に引き寄せると河井さんはもう一度「あっすみません…」と言った。「いいんですそんなことで謝らなくても。それよりもバイクがお好きなんですか。来世なんか待たなくても現世で実現できるじゃないですか。お店なんか誰かに預けて1か月休めばどこにでも行けるのに。」なんてもちろん言わずに、下を向いたまま軽く会釈して河井さんが差し出したビニール袋と笑顔を受け取る。

 

雪崩のように襲いかかる業務にひとつひとつポストイットをつけて分類わけをして終わったら丸めて捨てる。捨てる快感だけを支えにこなしていく。手紙のアイコンをクリックし、パスワードのように「いつもお世話になっております」とほぼ無意識で打ち込むと、画面にはバグのように「itumoosewaninatteorimasu.」と並んだ。舌打ちも出ないまま椅子の背にもたれかかり息をつく。

いちゅもおせわになっております。そうだね、お世話になっております。でもこっちだって結構お世話してるよ。打ち合わせで顔を合わせるたび「こっちは金だしてんだからさぁ」「愛想がないよ、女の子なんだからさぁ大事でしょ愛想」とベタベタな嫌みを押しつけられて、会った後はいつも全身にねばついた液がまとわりついているようで一刻も早くシャワーを浴びたかった。自分の長所を自覚していることを隠さない人は「謙虚さが足りない」「いけ好かない」と厳しく取り締まわれるのに、金を出してるやつが偉そうに振る舞っていてもこの国では当然とばかりに見過ごされる。私はただの係だ。金とモノを交換するだけだ。見積もりの数字の後ろに付け足すのは(税別)だけじゃ足りなかったか、(笑顔別)と今からでも書いておくべきか…と疲れも相まって半ば本気で見積もり書のデータを探していると午後2時50分を告げる携帯のアラームが鳴った。

あ、いけないいけない、これを逃したら休日出勤してる現状も重なってむしゃくしゃしてまたコンビニスイーツをやけ買いしてしまう。室長がいないことを確認して机の下でそっと携帯にイヤホンをつなぐ。昼過ぎのワイドショーのあとに流れる、あの子たちが登場する10秒間だけの映像を待つ。「新曲、「ラッキークルージング」のダンスを踊りながら3人が午後3時になったのを知らせします。お楽しみに!」とだけ書かれた公式サイトのニュースを昨晩見て、たとえ仕事中でもこれだけは見逃さないと目を血走らせた。まだかな、たとえ10秒だとしてもこんな大きな番組のあとに流れれば確実に知名度につながる。羽ばたいてほしい気持ちと自分だけがこの魅力を知っていると陶酔していたい気持ちが混じって少々複雑だ。

プールのような水の入った大きな容器がいくつもある場所に立って笑顔で声を張り上げているキャスターをイライラした気持ちで眺める。はやく、はやく。「夏祭りに向けて金魚を選別」?ああ、金魚すくい。子供のころに一度無邪気な気持ちでやったものだけど、えさを真面目にやらずに殺してしまった私を叱って母が二度とやらせてくれなかった。「選別というと少々残酷なようですが、金魚は一度に数百も卵を産むので優秀な金魚を残すには必要な過程なんです」と時折カメラの下の方に視線を移しながらたどたどしく話すおじさんは人が良さそうな顔をして頭に鉢巻を巻いていた。「なるほど。具体的にどのような観点で選別をしていくのでしょうか」。まだかな、あ、56分か。衣装は何だろ。この前のライブの衣装はやめてほしい、あれは全国区の放送に耐えられない。頼むからここは無難に穏便に…。あ、あと3分だ。携帯を持つ手がじわじわと汗ばんできたとき、「あ、ほんとだ、赤くない金魚ははじかれるんですね」と話す少し驚きの色を孕んだキャスターの明朗な声が聞こえた。

「赤くない金魚ははじかれる」。少し空を泳いだ目は、机の上に転がってあるペンの上に着陸した。十数年前、私の家で死んでいったあの子は確かに赤かった。頭の中で、赤い点が数多動くプールの映像と軍隊と葬式を足して割ったような人ごみに埋め尽くされる毎朝の駅がだぶる。

ハッとして机下に光る携帯に視線を戻すと「15時をお知らせしまーす!」と両腕で秒針を作るセンターのあの子を一瞬とらえて、画面が切り替わった。やばい見逃した、見逃してしまった。あんなに楽しみにしていたのに。

呆然としていると、タシーンッとエンターキーを鳴らす音が奥から聞こえてきて、室長の顔を見ることもできずに慌ててイヤホンを外しキーボードに手を置いた。

 

帰りにやっぱりやりきれずコンビニに寄った。今朝もいた河井さんはなぜかまだ働いていて、相変わらずインフレしかかっている笑顔を量産していた。私は、甘い物のなかでも最も好きなバナナオムレットを手に取りレジの列に並んだ。チーズケーキと牛乳寒天も買おうとしたがなんとなく我慢した。

「いらっしゃいませー」どうも。「お待たせいたしました、申し訳ありません」いや、待った時間7秒くらいです。「ポイントカードはお持ちですか」「あ、持ってないです」「あっ失礼いたしました」いや、全然いいです。それよりあなた、夢があるんでしょ。「ではこちら、レシートと…」ね、いいの?来世なんて待たなくたって「お品物です。ありがとうございました」

「あ…」

そのとき私は河井さんと初めて目を合わせたことに気づいた。あ、はいと不安顔の河井さんは頭の印象よりも若かった。息を吐くことなく2回くらい吸ってやっと

「ありがとうございます」

と言って勢いよく袋を取りドアに向かった。

「ありがとうございましたー!」と後ろから河井さんの声が聞こえた。


バナナオムレットは、おいしかった。