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もちつきにっき

名刺に書いてる以外のこと。

価値

国を代表するような大企業のロゴマークがびっしりと並ぶスクリーンを背に男は微笑んだ。観客は声こそあげないが見上げるようなまなざしを男に託した。幼いころからの英才教育が功を奏したのか私たちは静かにしているのが不必要なほど上手だ。アルバイト先のスーパーのレジでは、袋をいるか聞いても唇から2mm先の空気を震わせるだけでイエスかノーかを答える客ばかり。疲れてイライラしているときは聞こえねえんだよと胸ぐらを掴みたくなるので無言で袋をつけるときも多い。環境のことを思えば胸が痛いが、大切なのは地球より自分の精神衛生だ。

いつのまにか男は私の目の前に立っていて、こう言った。

「では質問。冴えない地味ーな男が学園のマドンナ、超絶美人と付き合ってたら、その男には何かあるんじゃないか?って思うよね?どう?」

「いいえ。容姿のつり合いで相性を判別なんて安直すぎるし、そもそも人の恋愛事情なんて知ったこっちゃありません」と答えようと口を開いたら「そうですね」と発音していた。私の口よ、お前は正しくて無難なやつだ。

男は満足そうにうなずき話を続けた。これは質問ではなく発声練習だ。それも発声した者の思考を少しずつジャックする部類の。軽やかでさりげない洗脳を振り払うように、「大手企業ではない本社がここまでの大手と取引できる理由」を説明する男のスーツの裾から出ている糸に意識を集中させた。周囲は一心に男の話に聞き入り、時折涙を流す者までいて少し薄気味悪いものを感じた。

なるほど、ブランディングと栄光浴は紙一重だなと一人納得して窓の外に視線を移すと雲ひとつもない青空が見えた。その青がふいに先日読んだ漫画の表紙の青とリンクする。

図書館で目当てもなく本棚を見ていて見覚えのある題名に目が止まった。そういえば少し前に映画化されてたなと思い出し何の気なしに借りたそれは30年ほど前の絵柄が馴染みづらく、ストーリーもつかみどころがなく、10ページほどで飽きてしまった。表紙も青一色でわからんどういう物語やねんこれとネットであらすじを検索すると「少女漫画史に残る不朽の名作」という見出しの下には弱冠二十歳にしてこの作品を描いた作者の天才ぶりだとか、思春期の男女の繊細な心理描写だとか、シリーズ累計800万部だとかが延々と書かれていた。興味が一気に湧いてもう一度読み始めると、先ほどと打って変わって大変に面白い。わかってるなぁ、思春期の男女の繊細な感情さすが不朽の名作ウンウンとうなずき読み終わった。2回は読まなかった。

あぁ。私も変わらないんだなと空を見つめて思う。私は大きな企業の名前を連呼する男もそれに尊敬のまなざしを向ける周囲の人も馬鹿にしていた。自分のなかにものさしがないから簡単に誰かが決めたわかりやすい価値に振り回される。けれどそれは私だって同じだ。

名作と呼ばれるもの以外は読みたくないし、流行っている洋服が欲しくなるし、高評価がついていないお店には目もくれない。正直、男が大企業の名前を連ねたときも会社の認識が変わった。

 

地上に出回っている価値を測る項目、それを超える付加価値を、自分の中で見つけられたら。

インスタ映えもしない、同窓会でも自慢できない、人には勧められない、それでもいいんだよなぁって言えるものに自分の財産を使っていたいと思う。

気づかせてくれた男には、今は少し感謝している。