もちつきにっき

名刺に書いてる以外のこと。

師匠

久しぶりに、母校を訪ねた。
家から歩いて数分の地元の高校。
一番近いからという理由で入ったそれは、卒業してからは一番遠い存在になった。

野球部の掛け声と吹奏楽部のトロンボーンの音をかき分けた校庭の隅にある道場。そこで費やした日々はアルバムの半分以上を占めた。
来る日も来る日も、ださいジャージで地味な練習を繰り返して、師匠に叱られて落ち込んで、炎天下のなかも極寒のなかも耐えた。他に楽しいことを知らなかったからできたのかもしれない。どんなに割りに合わない苦しい日々でも、あの頃の私にとって部活以上に楽しいことなんてなかった。そのことが今は羨ましくて眩しい。

私の部活は競技と芸術の間をいく武道で、16、17の酸っぱくて硬い青蜜柑の私はどんなに練習を重ねても少しも会得できた気がしなかった。
大会では競技として扱われるので、手早く勝つための方法はあった。でも私の師匠はそれを私たちに許さなかった。
「武道として勝て」と言い続ける師匠に心底納得していたつもりだけど、ふがいなくも体は目の前の一勝のために焦って動いてしまう。
そういう瞬間を見つけられては叱られた。
親でさえわからない心の動きを、師匠には全部見透かされていた。

武道としての話を置いといても、部活内容は予想以上にハードだった。
はじめの頃は道場に入れてもらうことすらなくて、外で走り込み、筋トレ、シャドーイングの毎日だった。
こんなはずじゃなかったんだけど、という不満と道場入りを許されている先輩たちへの悔しさを燃料にして燃えていた。我ながら単純だ。
そんなある日、突然師匠に呼ばれて道場に入って練習することを許された。うれしくてうれしくて速くなる鼓動を抑えながらできるだけ冷静に振る舞った。
ひととおり練習を終えた。結果はまぁ、散々だった。
それでも踏み出した大きな一歩を心の中で噛みしめつつ「ありがとうございました」と言うと、「おまえは目がいいな」と返された。
身の程知らずに「絶対私だってそろそろ道場に入ってもいい頃だ」と先輩たちを睨んでいたあの目でしょうか。とっさに恥ずかしさと動揺で顔を伏せた。

覚えている限りの師匠との最初の会話はそれで、最後の会話は覚えていない。
去年、師匠は亡くなった。

そのとき海外にいた私は葬儀にかけつけることも叶わなかった。
家庭の事情でお墓の場所も伝えられないらしく同級生たちがLINEグループで今後の動きについて話し合っていた。
私はそれらを見ることすら耐えられなくて
ご冥福を、とかそんな言葉を言ったらあまりにも事実が事実として焼き付きそうで言いたくなかった。
我ながら子供だと思う。


最後の会話を覚えていないのは、懸命に忘れようとしてきたからだ。
最後の大会で、私は重要なポジションに選抜された。「居残っても下手くそは治らねえぞ」と言われながらも、持ちうる時間のぎりぎりまで使って練習した。武道として勝つ。師匠を信じてたし、どうしようもなく下手な私を3年間諦めないでいてくれた、そして最後の舞台で大役を任せてくれた師匠の恩に報いたかった。
直前までの練習では調子も上々で、おごることのないよう気を張りながら試合会場へ向かった。
結論から言えば結果は散々で、私たちは県大会に行くことすらできなかった。
最後に私は一点を入れたけれど、それを取りに行く私の姿は武道とは程遠いものだった。試合結果よりも、それが情けなく、恥ずかしかった。
それから私は記憶にふたをして、母校にも、同窓会にも一切顔を出さずに来た。
他のメンバーは年相応に思い出を整理して卒業してからもしばしば遊びに行ってたようで、なんで一緒に行かないの?と聞かれたけど
あんな昔の蹉跌を未だひきづっているとも言えず、あいまいに濁した。

今思えばたかが3年間で身につくことなんてたかが知れている。
何十年も稽古をつけに来てくれていた師匠はそんなことわかりきっていた。
どんな気持ちで私たちに、この武道に向き合っていたんだろう。
その答えを聞けることはもうない。

今日久しぶりに訪ねた道場は、靴箱が新しくなっていたり少し物の配置が変わっていたりしたけれど殆どは記憶のなかにある姿そのままだった。
もう一人も顔を知らない後輩たちを前にたじたじしながらお土産を渡し、コーチに挨拶をした。
久しぶりに練習していくかと聞かれたけど断った。
行き場もなく壁を見ると、県大会優勝や全国大会など豪華絢爛な文字と後輩の名前が並ぶ賞状がたくさん飾られていて
何も恩返しできなかった自分と比べると肩身が狭いような、でもこれで師匠の長年の思いが報われたと思うとありがたいような気持ちになった。
そのなかで一枚、ペラペラの白い紙が貼られていた。
歪んだ筆文字が並ぶそれは亡くなる1週間前に書かれた師匠からのファックスで、
大会前で選手が勝ちに気をとられていること、深く深呼吸をして今まで教えてきたことを見直すことなどを選手たちに再度伝えるよう顧問にお願いをするものだった。
一字一句、私たちが言われてきたことと同じ内容だった。


私はこんなに待てるだろうか、と思った。
3年で過ぎ去ってしまう頼りなくて不安定なものたちを、そして何より自分を
こんなにずっと信じられるだろうか。
途方もない気持ちになった。しかし同時に何かが少し掴めた気がした。


どんな気持ちで私たちに、この武道に向き合っていたのか。
師匠の口から答えを聞けることはもうないけど、
ずっと変わることなく見せ続けてくれた生き様こそがその答えだったのかもしれない。
コーチに挨拶し、笑顔で後輩に手を振った。
奥歯をゆっくりと噛みながら、何千、何万回と歩いた家までの道を踏みしめた。